妄想アジテーション ほか

1.
今日は、マンチェスターシチーに負けたときのロッカールームでのファーギーのように、キリキリしてっぺ。頭にやかん載せたらお湯が沸くッぺ。

大好きなお店が、「圧力」を受けている。
私は、この手の「圧力」をかける人がとても嫌いだ。自分の手の届く範囲でこれをやられると、すぐニセモノフーリガンになるか、又は、ヤワなハートがアレルギーを起こして真っ赤に腫れ上がってしまう。

ええ、喫煙者はいつだって、加害者ですよ。でもなぜだか迫害されてる。自分ばっか清貧ぶった連中によって、たばこは焼かれ、喫煙者は穴掘って埋められそうな勢いだ。これは21世紀の焚書坑儒だ。

たばこが不愉快だというなら、貧乏ゆすりと肥満とウソツキのほうが不愉快だ。たばこが危険というなら自動車とエアガンとエルサレムホワイトハウスは新たな戦争の火種になる可能性がある。

彼らは必ず平和団体のように、自分の嫌悪感を世界中からの要求であるかのように言う。やれ健康に悪い、遠くにいてもにおいが不愉快だ、せっかくの料理を台無しにされた気分になる、etc...だから、全席禁煙にしろ、と。「みんな」(ここ重要)健康的でおいしいものを食べてるんだから、たばこの煙で健康を害されたくはないし、楽しい食事の席で不愉快な思いをしたくない!ってさ。

私は彼らのような「みんな」の名を語り、群れを盾にして自分の要求をつきつけるロビイストではなく、自分の言いたいことを言い、自分のしたいことをする個人事業者だ。彼らの、みんなみんなという、群れを盾にするところが生理的に気持ち悪い。なんで、「俺は」「私は」と言わない?だから、私はオレオレ、独善的に書く。

私は、自らの喫煙についてはさまざまな自分ルールが存在する。ルールで自分をしばってるのではなく、美意識、ポリシー、粋なたばこの吸い方の追求からだ。
このルールの原則は「1.吸いたいと思わなきゃ吸わない 2.吸ってみてタバコがうまいと思わなきゃ吸わない」で、飲食店(居酒屋を除く)でのルールは、「1)食事中はたばこを吸わない 2)他人がご飯食べてるときはタバコ吸わない 3)子供の視界に入るなら吸わない 4)隣の席に人がいるときは吸わない 5)デザート食べてからじゃないと吸わない 6)同席した人が喫煙を認めず、お店が灰皿を貸してくれなかったら吸わない」だ。

譲歩ではなく、これが私のルールなのだが、平和的に共存するためのルールとして、十分成立してると思うんだけど。

それだから、だいぶ上の「圧力」を目にした私、もうすでにがまんならずに、「ヘイヘイヘイ」と、割り込んで答えて曰く、「いやならお店に訴えずに、ダイレクトにあなたが目にしてやめさせたい喫煙者に言いな。自分のためにお店のルールのほうを変えようとすんの、卑怯だぞ。正面からかかってこい!Just bring it!(170%誇張、妄想込み)」

お店は、最大公約数の意見を集約してご飯食べてかなきゃいけないのである。少しは空気読めよ。まして、オーナーがたばこがきらいではなく、「食後のタバコってうまいよなー!デザートまで食べたあとは最高だ!」という方だから、なおさらルールは変えないだろう。

一つ、言えるとしたら、たばこがある限り、たばこについての衝突は永遠になくならない。私はもうちょいで1週間、シラフでは3週間、たばこを吸っていない人だが、喫煙者はやめない。だから、大衆を装って嫌煙権を主張する連中の味方にはならない。

でも、ラシアックとジョージ・バーリーをラムズに返してくれるなら、たばこをやめても全然いいよ。

2.
たまになにを思ってコレを検索してるんだろう、というキーワードが流れてくる。
又は、人間の欲っていうのはなぁ…

3.
フィリップ・パカレのボジョレーを、飲んだ。最初は保存が悪かった?のか変なにおいと、変な味がしたんだけど、グラス二杯目からはごろっと味が変わり、ボジョレー・ヌーボーのいや〜な酸味がおちつき、そして、どことなくスパイシーな味が出てきて、渋みもマイルドで、おいしかった。もう飲んでしまったよ。

4.
今日も、移動だらけで仕事になってなかった気がする。ロングドライブのあとは、退廃的な気分でいけない。さっさと風呂入って、明日は一日中、学校にこもってしまおうと思う。お花見行きたかったけど、行くと勉強が怖くなるので行けない。