テレビのこっち側にリアリティはなかったんだ。

何年か前の今日、ビルに飛行機が二機も突っ込む風景が、テレビに写っていた。

隠さずに言おう。
「行け行け!ざまみろアメリカ!」と興奮気味に、茶化しながらその風景をテレビで見ていた。なんとなく、テレビに映るアメリカが嫌いだったから。

というか、アメリカと、権力者がダブって見えて、そいつらがひどいしっぺ返しを受ける構図に胸のすく思いがしたんだ。失わしてきた分、あれでも足りないと思うけど、失え!と。

ありえない光景に、リアリティがなかった。
というか、テレビで写るすべてのことに、俺はあまりリアリティを感じていない。
大岡越前も、連続放火事件も、仮面ライダーも、地下鉄サリン事件も、テレビの中のできごとにしか感じない。
俺がまともだと信じている感覚では、そんなバカでアホでめんどくさいことは、現実には起こらないことになっているからだ。

もし日本が戦争に巻き込まれても、目の前で銃声を聞くまで、俺は戦争を認識しないだろう。そんなアホでバカでめんどくさいことは、起こりえないと思っているからだ。
それが平和ボケだといわれればその通りだと思う。

でも、みんな平和ボケになったらどうでしょう?

ケンカくらいは起こるだろう。でも、ケンカくらいで打ち身擦り傷、当たり所が悪くて骨折くらいで済んでる社会でよくないか?

それ以上はめんどくさい。

争いのない社会とかいうのはいかにもリアリティがないし、テロの根絶というには、テロ以前に、国家とか企業レベルでのいじめがなくなれば、虐げられた人たちからのカウンターパンチがなくなるわけだから、つまり、お前ら自体の根絶なんだな?ハラキリご苦労さん、と思うし。

俺にとっての平和とは、傍らで弱虫なうちのゴンちゃんが腹出して寝転がっているような状態であります。

寝てる猫をいちいちたたき起こさないように。

世界中の人が、めんどくさい、ばかばかしい、もめる方向に物事が進むようなことに目くじら立ててがんばりませんように。