幸せとは、の話をするはずだった

 飲み会の席で、「mixi日記のポジショニング」についてから、「幸せについて」という話になった。

 僕はその場では、「例えば、あったかいお風呂に入れない人がいたとしても、温泉みたいなすごいお風呂に入ってる人もいる。下を見ると、現状で満足したり安心してしまいそうだから、(きりが無いのは当たり前だけど)少し上を見ていたい。」という旨を発言し、僕は物質的な幸せを求める方向性の人であるという言われ方をした。

 でもね、僕はその物質的な幸せのほうが大事とか、精神的な幸せとかじゃなくて、下を見て安心したりしないという気概の方を言いたかったのね。それができてるかどうかは微妙としても。(常勝とか常に全力投球だとかおっしゃる人もいますけど、そんな無茶はできませんで。)

 幸せの話だったのに、気概の話をそこに乗せた時点で、最初の議論とずれたことを言っているのは自分なんだ、と書いてて再確認した様子。

 そして、僕にとっての幸せとは。精神的には意思が通じ合うこと。少しでもいいものに出会うこと。戦争が無いこと。政治と金に絡まないこと。部屋がきれいなこと。
 書き連ねて思うのは、7割方、きれいであるとか、便利であるとか物質的な状態とか便益をもって、精神的に安心しようとする傾向が見られ、結局僕は物質的な幸せを求める傾向の人と言うことでいいのかな、と。

 面と向かって言われると、なんだか拝金主義者といわれてるみたいで、反抗したくなる気はするけどね。