学者、実務家、一般人の感覚のズレの観察

法学系大学院生の書いているエントリーを読んでいて、それについていたコメントの風合いの違いのようなものが興味深かった。
実務的にはナンセンスだったり、普通の感覚からは考えられないようなことでも、学問ではアリだったりすることはあると思う。
机上の空論というけれど、空論だろうが、理論的にその問題が存在する限り、それを徹底して討論を尽くすのが学問だと思うのだ。何人も同じような問題に対して、あらゆるアプローチ、あらゆる深さで。(僕は論文を仕上げられず休学を挟むようなハンパモノだけれど。)
前出のエントリーには最初、同じように「法律の規定ベースで物を考えられる人たち」がコメントをつけて、エントリー主との間で大変有意義な意見交換が続いていた。扱う法律は違うけど、条文の読み方について、僕も勉強になった。
法律の規定の話をしているという前提が守られているうちは、エントリー主と反対の意見、又は補足の情報が出ても議論がブレたり、おかしな方向に行ったりはしていなかったのだけど。
今はおかしな方向にコメントがいってしまい、エントリー主も、最初に主と議論をしていた人たちも、コメントをしていない。
人間の議論に珪素生物が混じったらおかしなことになる。