空白期間

空白期間というタイトルで、父が死んだ日から数日間だけ、ブログを書いていた。のちに、自分の備忘録としてか、あるいは同じように税理士事務所の遺族が、どうやって事務所を閉じるか、そのときに役に立つようにと思って、書いていたのだけど、結局、数日で終わっている。怒涛のように毎日が過ぎていき、ブログに残している時間がなかったのかも。この数日間の一週間後、僕は今の事務所に就職し、所長がそのために必要なことをすべてお膳立てを済ませていて、僕は特に何かを心配したり、気を使ったりすることなく、毎日、これまでと同じように(これまで以上に)仕事をしている。時間的にはだいぶ楽になったかもしれない。とはいえ、確定申告が終わってみないことにはなんとも言えないのだけれど。
今回、あっちのブログを閉じることにしたので、こっちのブログに記事を持ってくることにする。惜しいのは、あの盛大で明るく、いい感じだった父の葬式の話を書けなかったこと。いい葬式だった。(喪家の長男ということ以上には、特に何をしたわけでもないけど)疲れた。できることなら、なるべく葬式はやりたくない。

5/28
午前中、2件、お客さんに電話。父の容態が危なく、まともに決算を組んで提出してたら間に合わないので、仮決算で提出し、あとで修正申告をさせてほしい旨を伝え、了承を得る。父の血圧が70台まで落ちていて、猶予はあまりないと、妹。

1件、e-taxで、県と市は郵送で申告。

1件、先生に質問。関係会社が減資したからって、出資元が損失を計上したり、それを繰越欠損金として取り扱えたりできなかったと思うのだけど、確認のため聞いた。正解。

昼、ロイホで待ち合わせ。サインをもらい、そのまま別の会社の決算について、ランチミーティング。会計担当者さんの苦悩は、僕がここ三年苦しんだものと同じ。見捨てられない。

ミーティング後、税務署へ。ペーパーで申告。その後、郵便局で県と市を申告。

事務所に戻り、午前中了解を得た分を作成し、e-taxで送信。内訳書までは作れず、申告書と決算書だけ。県と市はやはり郵便局へ。内訳書は後日持参予定。

諸々終わらせ戻ってくると、父の血圧は相変わらず70台。夜にはまた、昨日の夜みたいに100台まで上がるはずと思っていた。終わったよ、と告げると、すぐ行ってしまいそうで、ためらった。できる限り、生きて欲しい。ともかく暑かったので、Tシャツに着替えると告げて、自宅へ。

自宅で着替えて、妻と少し話していると母から電話。急いで戻れという。「つまりそういうことだから」と。

急いで戻り、二階に上がると、父はちょうど、息を引き取ったところだった。妹と一緒にマッサージをした。妹は泣きじゃくっていた。父は最期、「お父さん、息を吸って!」という妹と母の呼びかけに、CPAPをつけながら大きく息を吸ったという。何か言うと、号泣してしまいそうだったので、とにかく歯を食いしばった。

妹が呼んだお医者さんが、父の死亡時刻を「18時17分」と決めた。そこから、ヘルパーさんと家族で2階から1階へ父を担いでおろした。重たかった。

ヘルパーさんたちが、父の遺体をきれいにし、スーツまで着せてくれた。

葬儀屋さんに連絡。打ち合わせに来てもらった。明日の朝0830に火葬場の予約が取れるということで、とりあえず今日が仮通夜、明日が通夜、明後日が葬儀ということ、葬儀のプラン、死亡広告は有料のやつ、というところまで決めて、あとは明日の朝にするということに。

もう疲れてしまい、あまり泣きそうにはならなかった。もらい泣き以外では。

古くからのお客さんに数件、連絡を入れた。泣きそうになった。

父が昔、窮地を救った社長家族や、別の葬儀中に連絡を受けた社長が来てくれた。みんな寂しそうだった。

6/1
加世田から来客。重病を患っている方だったので、わざわざ姶良までと思うと、それだけで少し泣きそうだった。

5/31の夜にやった件について報告を受けた。最後のうちの事務所の申告だった。

体がとにかくだるい。母と妹が書類の手続き関係をやっていた。父の実印と印鑑証明が行方不明。探し物の名人である妹でも見つけきれない。印鑑証明は死亡届が出されたことで失効しているが、実印が見当たらない。父の遺影を見るたびに、おのおの、「あれほど先生に身辺整理をしなさいといわれたでしょ!」と罵った。

保険金が、父が言っていた金額の半分も出ないことが発覚。だから5月初旬に、「お金が無い」と、相続の仕事をやろうとしていたのだな、と思った。

保険屋さんと話。こんなときだけど、保険の契約について。

カップスターが無性に食べたくて、実家から帰るとき、妻と買い物をしに行き、家に帰ってから食べた。

録画してあったプレデターを見た。頭で「プレデターズ」の予告やらなけれ、もっとおもしろかったのに。あれじゃ興ざめだ。

6/2
昼前まで惰眠。疲労が蓄積していたかもしれないけど、疲れているからというのを若干言い訳にしたかもしれない。

excelで給与を集計する仕事していたが、手に付かない。

妹たちと母は、銀行等の書類を書いていた。月曜日に提出して、口座の凍結を解除する見込み。

auショップに行き、携帯電話の譲り受けと、口座変更の手続き。

お客さんとこの敏腕事務員さんが弔問に来てくださった。ご家庭の事情で、7月一杯でやめるという。敏腕事務員さんがいなければ、そこの仕事は無理なので、そこは僕も逃げなければ。

6/3
父のお骨をどうするかについて。葬儀のときにお経をお願いしたお寺に納骨堂があるので、そこに預ってもらうことに。アポとって、相談を聞いてもらった。

四十九日は三月またがってはいけないというのは、迷信らしく、暦どおり故人を弔ってあげるのが筋だという。「始終苦しみが、身に付く」の語呂あわせだったとは。

6/4
ほぼ通常業務。

先生と今週、来週についての打ち合わせ。父は「お客さんを取られるんだぞ!」という感覚が強かったが、当初そうではなかった母が今、そんな感覚らしい。気持ちは分からないでもないが、無職にならなかっただけでも、ありがたいのではないだろうか。誰のために働くのか、ついて来てくれるお客さんのためだ。