五年後のラーメン論

 鹿児島はラーメンが高い。東京もラーメンが高い。その反対側には福岡はラーメンが安いという概念が俺にはある。
 それは相対的なものだが、価格面に関しては紛れもない事実である。文化的な側面もあるかもしれないが、原材料や地価、人件費は各地で異なるため、価格に影響を及ぼしやすい。
 価格については、それだけのごく普通の背景であるが、人は食べ物については、「味」に対する「価格」という評価基準を持ち出しがちだ。費用対効果、コストパフォーマンスという言葉があるが、食事に関する限り、口で言うほどには、価格との関係性は希薄であると言える。なぜなら、腹を満たすだけならもっと安い方法はあるし、安くてもまずかったら人は食べたがらないからだ。
 味と価格の費用対効果について、これは俺自身「福岡のとんこつラーメンはうまい、しかも安い」という体験をしているからの意見なのだけど、鹿児島のにも東京のにも、「高い」の前に、「たいしてうまくないのに」がつくことがある。ややっこしいのは、東京にある福岡とんこつラーメンのお店がうまくて安いかっつーと、そういうこともあったりなかったりで、どっちかというとなかったりする。ある程度味と価格は天秤にかかる関係ではあるが、評価の基準として、第一に「味」があることは間違いない。
 福岡のとんこつラーメンはうまいのか、については、一概には言えないといわざるを得ない。うまくない店もある、ということも言えるが、俺が言いたいのは、そもそもラーメン自体が、うまいはうまいけど、そこまでうまいものでもないんじゃないかということだ。俺は各地のラーメンの比較以前に、「ラーメンそのものは、そこまでうまいものでもない」という「ラーメン自体の限界」を見立てている。次にまたラーメン論を書くことがあるとすれば、ラーメン自体の限界についてになるだろう。現時点では俺の印象論であり、これをうまく説明できない。
 俺も含めて、ラーメン好きな人は、ラーメンに多くを期待しすぎている。ラーメンを食べて、ラーメンを語ることは、いいことなのか、ゼイリブのように、なにか騙されていないか、検討する必要がある。